こんなブログ記事がありました。「福山市、戦慄の崩壊、都市間競争脱落のワースト都市」2012年

こんなブログ記事がありました。「福山市、戦慄の崩壊、都市間競争脱落のワースト都市」2012年

非常に興味深いブログがありましたので紹介します。(紹介しないほうがいいかなと思ったのですがあえて・・・)
記事タイトルが「福山市、戦慄の崩壊、都市間競争脱落のワースト都市」凄いタイトルですね。2012年の記事です。

以下掲載元から写し
http://madonna-elegance.at.webry.info/201211/article_22.html

もうホントは書きたくなかったが、(だったら書くな、と言われるだろうが)
広島県東端の中核都市の福山市(人口47万人)の他に例を見ないほどの
都市間競争からの脱落どころか、都市自体の機能崩壊ではないか、と
思われるほどの絶望的崩壊状況が噴出している。

福山駅前の絶望的状況

営業は福山天満屋とJRサンステ(駅構内)だけ(繊維ビル再開発はとるに
足らない)

「のぞみ」停車駅で駅前から店舗があらかた姿を消し、閑古鳥の醜態など
他に類例都市はない。

駅前に乗り入れていた主要バス会社の井笠バスが破産し、一部の路線
を中国バスが運行しているが便数は激減した。福山駅前の寂寥化、廃墟化
に決定的(機能的にも)に拍車をかけている。

◆全ての大手スーパー、またデパートから完全に見放されてしまった

1.そごう福山跡の福山ロッツ運営の天満屋は2013年4月をもって完全
撤退
(大和ハウスグループが4階までを5年契約で借り受ける、という情けな
い後継!)・・・*【補足】その後の調整で8Fレストランフロアー他一部も契約

2.駅前西側に佇立する福山キャスパは閉店し、まったくメドがない。

イズミ社長は「駐車場もない福山駅前から完全撤退する。再開発に一切、
関与する考えはない」(キャスパの50%持分を処分)

3.駅前東側の「福山伏見町再開発」も

そごうさんにお任せします(当時の伏見町再開発組合のお茶屋の主人)

そごう撤退(福山から完全撤退)

改めて再開発、着手寸前、「アーバンコーポレーション」倒産、一切は
烏有(うゆう)に帰した。
また2018年をメドに再開発、・・・・と、茶を濁しているが、もう伏見町在住
(まだ伏見町に住んでいる高齢者がいる!)も間もなく、いなくなってしまうはず。
時間つぶしなのか、・・・。もう伏見町再開発という発想自体、腐りはてた。意味
がない。

4.天満屋はアーバン主導の伏見町再開発に福山店拡大の計画で乗る予定
だったが、これもゼロ計画になった。

5.福山駅前の買い物客数は最盛期の2割以下に激減。小店も「こんな場所
じゃ商売にならない」と次々と逃げている。

★ キャスパ1Fで人気のあったスターバックコーヒーも閉店。代替でか、
どうか、2012年12月南蔵王(旧小樽食堂跡)に開店予定。

イオンも「福山は論外」と一顧だにしない。

福山駅前のゴーストタウン化!

福山旧市街地の広大な面積が戦慄のゴーストタウン化!

◆東部の南蔵王、春日、引野などを除く広大な旧市街地の商店はほぼ壊滅
し、茫洋としたゴーストタウンが広がっている。

活気がない、どころか、もう人が見えない。死んだ街に福山市の大半がなって
いる。
ちょっとした都市でも旧市街地は小商い店舗は廃業し、ゴーストタウン化の傾向
はある。

だが福山市ほど悲惨な状態の街は他に見出せない。

★私には福山市がどうなろうが関係はない。だが当事者の福山市、商工会議所、
などの呑気なことはどう解釈すべきなのだろうか。

◆もとは商工会議所会頭だった松本(山陽染工、福山ガス)の独断専行の西町
へのそごう誘致が崩壊の発端であった。

ここから、そごうの伏見町再開発への余計な口出しが決定的崩壊の要因よな
った。

●では、なぜ福山市は染物工場の「跡取り」が商工会議所の会頭になったの
だろうか?

余談ながら書いておくと、戦前から長く福山市は芦田川の堤防は(現在と違い)
貧弱で、そこから大量の塩分を含んだ水が平野部に流れこんでいた。
結局、福山とは「塩に強い」・・・「綿花」しか栽培できない土地だった。芦田
川周囲は延々と綿花が栽培されていた。かっての福山は綿の大産地であった。

この綿花産地、ということから染物、染色産業が発展した。だから今はどうか
知らないが、福山工業高校には「色染」学科という特異な課程が設置されていた
くらいだ。

だから山陽染工のあった西町は芦田川に近接で綿花栽培農地に隣接で
、都合のいい場所だった。その跡地に「そごう」だから、一等地ではないこと
が分かる。

福山はNKK誘致に成功し、驚異的発展を遂げ、その活況ぶりはちょっと類例
がないほどだった。

だから駅前開発でもニチイ、ダイエーなどが立地し、近隣他都市にはるかに先行
した。
だがこの先行も駐車場への先見の明を欠いて逆に現在の駅前ゴースト化の要因
になってしまった。

遅出し開発の倉敷に天地の差をつけられた、のも皮肉ではある。

◆市営福山競馬廃止決定、・・・・従業員の多くは走島出身の女性達だった。

福山市ほど無残に都市整備が崩壊した例はないだろう。

◆驚くのは市役所、市議会、商工会議所などのノーテンキぶり。

今、福山の一番ホットな話題は、JR福山駅前(JR所有)にサンステ拡張で平櫛
田中の「五浦釣人」像を移動するというJRに、「市議団」が「反対行動」をとって
いる。・・・まあ、それはそれとして、他に考えることは何もない、・・・という現実。

福山市の中高生の学力は全国で沖縄についで低い。

それにお似合いの市役所、市議会、などなど、・・・だろう。万事についてレベル
が低すぎる。

だからこそ、ここまで転落したのだろうが、

いくら都市間競争に負け、都市崩壊、ゴーストタウン化でも

●全国最高水準の福山市役所の給与水準は不滅です、とうそぶくのだろうか?

また再び、広島圏の残りかすを貰って喜ぶ程度の街に戻った、と、・・・言われて
も仕方ないだろう。

この記事にはそごう誘致が破綻の始まりとありますが、個人的にはここまでの状態になった原因は、とにもかくにも地下送迎場建設の強行に尽きると思ってます。10万人以上の署名が集まった水辺公園プロジェクトを無視し、いたずらに工事期間を伸ばし周辺商店の営業を阻害。そのためキャスパのテナントの撤退が相次いだ。キャスパに限らず駅前商店への影響は相当なものでした。工事期間が延びたことについては市民団体との折衝など行政側の言い分もあるでしょうが、このあたりの経緯については(こちら福山駅前水辺公園プロジェクト2007-2009)を参照していただきたい。詳しく経緯を記録してあります。
開発目的について当時の説明では、”あくまでも駅前は「交通結接点」として開発する。「人々の滞留」「賑わい」は考えていない”との説明でした。「新幹線から降りてスグバスやタクシーに雨にもぬれず乗れる」これがキャッチフレーズだったと思います。

因みに、福山駅前が賑わっていた1993年の駅西大型4店舗(そごう、ダイエー、93年にニチイからビブレ、キャスパ)プラス駅東の天満屋を合わせた駅前大型5店舗の年間売り上げは850億~900億あり、東は倉敷、西は尾道三原、南は愛媛弓削、北は庄原東条まで含む一大商圏を形成しておりましたが、現在では逆に福山の商圏は倉敷に組み込まれています。中国地方の核都市である広島、岡山その中間に位置する福山市ではありますがその役目は倉敷に変ってしまっています。つまり大型店舗などの出店候補都市に福山市はなっていないという事です。

福山市堂々の全国3位!

現在の福山市の取り組み 2018年度(pdf)

福山駅前再生ビジョン (仮称)デザイン計画の中間とりまとめ(pdf)

【参考】福山駅前水辺公園プロジェクト

平成19年に現在の地下送迎場が計画された。その際市民団体が提案していたプロジェクトが福山駅前水辺公園プロジェクトです。市民13万人から賛同の署名が集まったが当時の福山市長、市議会、商工会はそれを無視し今の駅前になった。

 

プロジェクト案 12年前に提案、キャッチコピーは「お城の中に駅がある街  ふくやま」